宮本顕治氏死去

 今日は宮本顕治氏の死去です。

 各種報道が伝えているように、本日の昼過ぎ、宮本顕治氏が老衰のため死去されました。98歳でした。ご冥福をお祈りいたします。

 宮本氏というと日本共産党の本流ど真ん中という印象があります。が、旧来の共産主義の在り方に疑問を持っており、元々は日本共産党のなかでは亜流というか分派でした。日本共産党の最高幹部に就任して以降、時代時代に合わせて柔軟に改革を断行してきました。

 彼が行なった改革を列挙すれば、旧ソ連や中国の共産党からの独立、プロレタリア独裁の放棄、暴力革命から議会革命へ、などがあります。また、共産党員だけでなく他の民主勢力との団結を積極的に推進しました。これらを乱暴に要約すれば、自由と民主主義を重視する路線へ日本共産党を舵取りしたと言えるでしょう。これは日本共産党にとって大きな転換となりました。

 彼の改革は、もちろん批判することも可能です。が、日本共産党は一連の改革によって広範な国民の支持を獲得するに至り、一時期は党員数が30万、衆議院での議席数が30にまで伸びました。何よりもこうした事実が宮本氏の意義を物語っていると思います。当時の日本共産党の姿に満足できなかった宮本氏は新たな路線を打ち出し、彼が示した新しい日本共産党を多くの国民が受け入れたのです。

 現在の日本共産党はかつての勢力の3分の1以下です。その原因はいくつかの角度から分析できるでしょうが、大きく言えば、一般の支持を失っていることが主因の1つです。前衛党や社会主義革命を放棄したり、民主主義の枠内での革命路線に転向したり、いくつかの改革を行なっていますが、いずれも国民の支持に結びついていません。

 こうした限界は左翼勢力全体に言えることでしょう。保守勢力が新保守主義や新自由主義など時代に合わせた修正を行なっている一方で、左翼側は従来路線を堅持することに固執しています。それによって支持が拡大するのであれば良いのですが、現実には支持者は減少するばかりです。にもかかわらず、主義主張を変えようとしません。

 日本共産党が宮本顕治氏の死去をどのように総括するのか。彼の柔軟路線をどのように受け継ぐつもりなのか。見守りたいと思います。

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benyamin ♂

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