覚書 080106

東田親司「行政管理の視点から見た年金記録問題」『行政管理研究』No.120、2007年12月。
・10年前に基礎年金番号が付けられる前は、厚生年金、国民年金別に手帳番号を交付する仕組みであったが、両年金を行き来する場合や転勤が多い場合などには複数の手帳番号が交付されることも多く、国民一人当たり3件程度(全体で約3億件)の年金加入記録があった。基礎年金番号付番後、名寄せ作業、年金相談、年金裁定などの機会に、約2億5000万件は統合されたが、昨年の6月時点では約5000万件が未統合で残っていた。(覚書注:まず5000万件が5000万人を意味するものではないと認識する必要がある。マスコミが「5000万人分が消えた!」と騒いでいるのは明らかに誇張であり、もっと言えば意図的な情報の読み違いによる印象操作である。また、当初3億件あった加入記録の統合作業が基本的には進展していたことも確認するべきである。依然として5000万件が残っているとはいえ、統合作業が順調であった現状は一般に知られていない。社会保険庁に瑕疵はないとは言わないが、こうした積極点をまったく踏まえずに批判を展開することは正当な議論ではない。)
・社会保険庁では組織を背負って立つ人材層の採用・育成がなされていなかった。
・逆に、二種・三種の試験合格者の採用を本庁と地方に分けていた。両集団が分立して組織が一体性を欠くことになった。
・最大の問題は職員組合への労務管理である。すでに報道されているような大量の覚書などが中央・地方の各段階で交わされた。話題になったコンピュータ入力の際の一定時間内のタッチ数だけでなく、来訪者よりも職員の待遇の優先を当然視することなどが確認され、職務上の指示も組合の了承をえなければならず、本庁組が地方の幹部に着任する際も真っ先に組合と交渉してこれまでの組合との関係の維持継続を承認するような状況にまで至っていた。中核となった自治労国費評議会(自治労のうち社会保険事務所などの職員が所属していた組織)はオンライン化などの合理化に徹底的に反対したため、当局側も妥協をしなければ業務が動かない状況にあったが、現実の職場での職務の指揮はどの程度できたのか、これほどまでに職員組合が抵抗したときには役所側はどのように対処するべきなのか、そこまでの対立に至る前に何が欠けていたのか、実践的な分析が必要だと考える。既述した組織を背負って立つ人材の育成も重要な対抗策であろう。組合問題は、安易に覚書などで妥協した点の反省だけでなく当局側が有効な対応策をなぜ打てなかったのかという視点からも分析が必要だろう。

今川晃「地方分権時代における行政統制の意味の変容」『行政管理研究』No.120、2007年12月。
・現状、中央集権的体質から地方分権を推進する転換期にあり、「ローカル・ガバナンス」と言える状況が構築されているわけではなく、ガバナンス実現に至る道程においては、従来のガバメントとどのように向き合っていくかという課題に遭遇するということである。この両者をどのように融合させるかという点である。
・そもそも、住民参加や恊働をあまり歓迎せず、住民参加や恊働を、議員の役割に対する侵害と考える自治体の議会議員も未だ少なからず存在するのである。この場合「対等の原則」というには、間接民主主義あるいは代議制民主主義を前提とするガバメントにおける首長や議会の決定権限と主人公としての市民の「権限」とが対等なのではなく、一定の原案策定段階における協業の場において対等であることを意味するにすぎない。
・アーンステイン(Sherry R. Arnstein)は、政治過程から排除された市民への権力の再配分に着目し、「市民権力(citizen power)」によって政策などをコントロールすることを展望する。
・佐藤竺は、「市民参加は、行政の決定過程への参加、言い換えれば行政と住民による決定の共同化に意義がある」と述べ、「市民参加は、利害の多様化するなかで、住民たち自身がその間の調整の責任を負う。それとともに、行政の側は、参加する住民に対して、決定権の共有をゆるし、代わって住民の側は、決定に対する責任を分有しなければならない」と指摘する。そこで、市民参加と呼びうるためには「行政と住民による決定の共同化」と「決定に対する責任の分有」が機能していなければならないことになる。したがって、市民参加における住民の重要な責任は、「住民の側の利害調整責任」であると佐藤氏は指摘する。
・さらに佐藤氏は次のように述べる。「議会は、住民の多元的階層を十分に反映できず、少数意見の尊重はタテマエと化して切り捨ての憂目にあう。この切り捨てられたる利益は当然に抵抗の姿勢を強めるであろう。そこで、市民参加は、この少数利益を決定過程にとりこみ、妥協の場の拡大をはかる手段となる」。
・実質的な「決定権」の一部は行政から住民に移行することになる。実質的な決定の一部が住民の側に移行するとなれば、法的な権限は行政の側にあったとしても、行政の最終決定に市民は大きな影響力を及ぼしたことになる。したがって、市民による行政へのコントロールが可能になると同時に、市民の責任領域も拡大することになる。ここにおいて、アーンスタインが唱える「市民権力」の拡大と共通する方向性が見えてくるのである。
・市民が行政を個別にコントロールすることを中心にした行政統制の思考よりは、市民相互が利害調整を行ないつつ相互にコントロール機能を発揮し、このことを前提に、市民による行政へのコントロールを考えていくパラドクスの転換が必要となる。
(覚書注:市民参加はあくまでも行政への参加として位置づけられなければならない。議会への参加ではない。議会は立法府としての権限を侵害されてはならないし、侵害されてもいない。議会による立法は市民の要求に大枠で応えるものである。その実行過程である行政の場において細かい要求に対応するために微調整が必要となり、そこで市民参加が位置づけられることになる。ただし、市民参加は個別の住民によって実践するものではない。市民の側で利害調整を行なうこと、つまり、市民も政策目標の実現のために役割を果たすことが求められる。)
・Sherry R. Arnstein, "A Ladder of Citizen Participation", JAIP, Vol.35, No.4, July 1969.
・佐藤竺:「行政システムと市民参加」『岩波講座 現代都市政策2 市民参加』岩波書店、1973年。『転換期の地方自治』学陽書房、1976年。「住民参加と自治行政」佐藤竺・渡辺保男編著『住民参加の実践』学陽書房、1975年。

大山耕輔「政府への信頼低下の要因とガバナンス」『行政管理研究』No.120、2007年12月。
・日本における政府の信頼低下の要因について、Pharr(2000)は、90年代後半に頻発した公務員不祥事についての報道記事量を示すグラフと政治的不満を示すグラフとがぴったり一致することを発見した。(覚書注:本論の意図とは違うだろうが、マスコミによる公務員攻撃が始まったのが90年代後半である。不況の長期化を受けて収益が減少するなかで、景気に影響されない公務員に嫉妬を抱いたのであろう。世論誘導に成功し行政不信を国民に抱かせた後で、マスコミはどのような将来展望を描くのだろうか。)
・Klingemann(1999)は、日本で愛国心に関連する問いに対する回答が諸国間でほぼ最低である理由として、第二次大戦での敗戦国としての経験が反映していると指摘している。愛国心などコミュニティレベルの信頼について日本は必ずしも高いわけではなく、日の丸や君が代に対する複雑な感情が残っていることに注意する必要がある。
・好ましい政治制度について、強力なリーダーによる政治、テクノクラート(専門家)が物事を決めていく政治、軍事政権、民主的な政権、をぞれぞれ聞いた。民主的な政権は日本人の80%が支持している。強力なリーダーによる政治やテクノクラート(専門家)が物事を決めていく政治に対して先進国のなかで比較的高い支持を集めているのは、リーダーやテクノクラートに政治や行政といった難しいことは任せておけばいいという意識の表れかもしれない。
・日本人の謙虚の美徳を考えると、組織・制度への信頼も総じて低いのであるが、明らかな例外は、新聞・雑誌とテレビであり、マス・メディアへの高信頼は国際比較的に見て突出している。(覚書注:だからこそ、メディアリテラシーの育成が提唱されているのだろう。政治家や官僚の揚げ足取りに投入するマスコミの労力を10分の1でも自分へ向けたら、国民のマスコミに対する信頼度も国際水準まで是正されるのではないだろうか。)
・新川達郎(2006)は、政府への信頼低下の要因について、エリート民主主義論的な性善説的な政府観に立つのか、それとも参加民主主義論的な性悪説的な政府観点に立つのかによって、アプローチの仕方が異なるという重要な指摘をしている。「一方では、よき政府をよき政府たらしめようとして、エリート民主主義論的な観点からの政府の不信の分析と、その回復方法として、『大衆と政府との距離』、『エリートへの信託の再興』、『政府は処理できないことに手を出さない』といった処方箋が提案されることになる。他方では、参加民主主義論に基づいた議論の方向があり、性悪説の政府における『悪』の程度を小さくしようという試みである。これらは、参加の不足が不信を増幅しているのであり、政府の公開性・透明性・説明責任の確保や、直接民主主義を含めた信頼回復策が、政府の民主的性質を回復してまた改善することになるというのである」。
・Pharr, Sysab J., 2000, "Officials' Misconduct and Public Distrust: Japan and the Trilateral Democratcies", in Susan J. Pharr and Robert D. Putnam eds., Disaffected Democracies: What's Troubling the Trilateral Countries? Princeton University Press.
・Klingemann, Hans-Dieter, 1999, "Mapping Political Support in the 1990s: A Global Analysis", in Pippa Norris ed., Critical Citizens: Grobal Support for Democratic Government, Oxford University Press.
・新川達郎 2006、「『信頼』の構図 政府のガバナンスの観点から」田中一昭・岡田彰編著『信頼のガバナンス 国民の信頼はどうすれば獲得できるか』ぎょうせい。

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benyamin ♂

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