『よしながふみ対談集』

 今日はよしながふみ『よしながふみ対談集 あのひととここだけのおしゃべり』(2007年、太田出版)を読みました。

 よしながふみは『大奥』を描いている漫画家です。他にもいくつか漫画を描いていますが、私は『愛がなくても喰っていけます』がお気に入りです。かなり気合いの入った漫画家であり、良い意味で漫画オタクであり漫画バカです。本書はそんなよしながふみがいろいろな漫画家や漫画オタクと対談した内容をまとめたものです。

 さて、最初から言い訳ですが、対談の内容が濃すぎて私にはついていけませんでした。私もたしなみ程度に漫画を読みますが、それくらいの素養では太刀打ちできないくらい込み入った対談になっています。もはや、専門用語が飛び交う討論とか議論に近いです。腕に覚えがあるオタクにはおすすめの本ですが、私のような素人オタクが手を出すとやけどします。

 もっとも本書が対象とする漫画は古典的な少女漫画が中心ですので、当該領域に日常的に接している人にとっては非常に馴染みのあることが対談されているのかもしれません。私は古典少女漫画はあまり読んでいません。最近の作品でも、対談に登場している漫画家で言えば、羽海野チカ『ハチミツとクローバー』くらいです。他には、津田雅美『彼氏彼女の事情』(白水社)がお気に入りですが、対談のなかではこれが連載されていた雑誌『花とゆめ』が色物扱いされており、議論の対象外にそっと放置されていました。

 そのあたりのことも含めて、私の能力を超えたところにある認識を前提とした対談が繰り広げられています。そこで、ここでは印象に残った発言を書き留めて、後学に期したいと思います。勝手に範疇分けして列挙します。

●女の子論
p.24
福田香里:その人限定でレイプされるほど愛されたいってことなのよ。レイプは最上級の乙女表現にすぎない。
よしなが:一般のレイプ願望ではないんだよ。レイプというシチュエーションじゃなくて、その人にどれだけ求めてもらえるか、っていう話なんだよ。
p.143
よしなが:男の子のエロ本は見て見ぬふりをされることもあるだろうけど、女の子のエロ本は見咎められるように思います。女の子の場合、早くその手の情報に目覚めすぎても怒られるじゃないですか。
三浦しをん:お前はませている、と怒られそうですね。
よしなが:女の子が本当に複雑だと思うのは、それで20歳過ぎても彼氏がいないと、今度は、どうしたと言われるわけです。
p.159
三浦しをん:「誰かいい人いないかなぁ?」って周りに合わせて言うのにもう疲れたって、最近友だちとよく言っているんですよ。
よしなが:ああ…そんな本当のことを言ってしまって(笑)。
p.252
よしなが:男性と女性では、萌えに関して大きく違いますよね。女性の萌えは、関係性に萌える。
吉村貴子:男性は、属性に萌えますよね。単体のキャラに萌える。
p.253
吉村貴子:男の人ってよく女の子のどこを見るかを話したりしますもんね。
よしなが:その「見る」っていうのも、外見だったり、自分に対して「優しい」とか、「かわいい」とかだったりしますよね。女の子の場合は、自分に対しても含め、他の人に対してその男の人がどう振る舞うかで評価したりする。

●ボーイズラブ論
p.79
よしなが:かわいいですよね、<受>が、多分ああいうのを女の子として描かれちゃうと腹がたつけど、男の子なら腹がたたないというマジックがありますね。
三浦しをん:女の子を主人公にする、でもこんなキャラだったら腹がたつという、少女漫画が抱えていた難しい部分をクリアするためにBL(編注:ボーイズラブ)が生み出されたところもあるかもしれません。
p.103
よしなが:私たちの世代だと、高校生ぐらいのときに宮崎勤の事件があって、あれからオタクに対する風当たりが余計に強くなって、自分にオタク要素があることは公言できるような空気じゃなかった。BLの登場は、そういう呪縛からようやく解き放たれたような感じがするんですよね。

●漫画家論
p.127
よしなが:結局どんなに抑えたって、オリジナリティってほっといてもにじみ出てしまうものだと思うんです。だから逆に、好きに描いていいと言われると途方に暮れます。
こだか和麻:それ、こわい。
p.206
羽海野チカ:「困っている人がいたら、とりあえず何かを食べさせる」っていうのが私の決まりなんですけど。それを読み続けてくれた人は、いつか困った人を見たら「とりあえず何かお食べよ」って言うかもしれない。
よしなが:あ、それでよく私に食べ物勧めるんだ。
p.232
よしなが:そういう描写がわからない読者は必ずいて、そういう人でも読める努力を自分の描きたいマンガを曲げずにできるのならやったほうがいいんだろうな、と覚悟するようになりました。なんでわかってくれないの!?とは思わないようにしようって。

●萩尾望都論
p.276
萩尾:それまでにも、どうして親子でこんなにうまくいかないのかと、心理学などいろいろな本を読んでいたのですが、あるときふと占いの本を読んだら、「親子でも相性が悪い場合がある」というようなことが書かれていたんです。そのときに、これが答えなのかな、と思いました。相性が悪いというのは、どうしようもないじゃないですか。だから、産んだ娘がイグアナだったら、これはもう完全に相性が悪い。愛せないわけですから。でも、娘がイグアナなんだから、本当は産んだお母さんだってイグアナじゃないのって。ただ自分の中の見つめたくない部分だからそうは見えていないだけで、本当はそうなんじゃないのって、思ったんですよね。
p.279
よしなが:主人公は新しい命になって生まれ直すんです。具体的な記憶はなくなってしまうんですけど。この生まれ直すというのが萩尾先生の作品では象徴的で。『イグアナの娘』まではそんなに具体的に親子のことだとかを描いていらっしゃらないように思っていたんですが、こうやってお話をお聞きしていると、生まれ直しを描くことで何かを描いていらしたかもしれないな、と思いました。
萩尾:なるほど…。それはどんな評論家にもいままで指摘されたことがないですね。

 私が目についた発言をごくわずか挙げました。これだけでも対談の充実ぶりや、それを先導するよしながふみの頭の切れがわかると思います。とくに、最後に挙げた萩尾望都論では当の本人の萩尾望都を唸らせています。漫画を読むのが好きで、漫画を描くのも好きで、漫画を描いている人も好きで、すべてをひっくるめて漫画が好きで好きでしかたがない雰囲気が伝わってきます。ただ、対談であるためか、時折、立場や視点のブレが見られます。それでも本書が漫画を論じる場合の一通りの枠組みを示していると思います。

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benyamin ♂

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