『医療崩壊』

 今日は小松秀樹『医療崩壊 「立ち去り型サボタージュ」とは何か』(2006年、朝日新聞社)を読みました。

 医療崩壊という言葉から連想することは人によって大きく2つに分けられると思います。1つは、医療機関における治療ミスや誤診が相次いでおり、また、医療費負担が上昇しているために、国民が適正な医療を受けられなくなってしまう、というものです。おそらくはこちらのほうが一般的な連想だと思います。

 そうした側面は確かにあると認めつつも、しかし、私はもう1つの医療崩壊を心配しています。つまり、患者からの理不尽な要求や訴訟に耐えられなくなった医療機関が医療サービスから撤退していっているという医療崩壊です。医療問題としてはこちらのほうが遥かに重大であると考えています。

 本書は後者の観点から医療崩壊を論じたものです。念頭に置かれている問題意識は、医療行為によって患者が死亡してしまったような場合に、マスコミや遺族が短絡的に医師を犯罪者だと決めつける昨今の在り方には問題がある、という点です。悪意と憎悪をもって医師と対峙する姿勢が生み出す危険性を議論しようとしています。

 医師側の責任を全く否定しているのではありません。医師を犯罪予備軍のように扱うことで、患者と医師との対立が増幅されてしまうことを危惧しているのです。両者の間の信頼関係も崩れ、医師はどのような治療行為であろうとも控えるようになっています。このままでは日本の医療は崩壊してしまうと懸念しています。

 非常に共感できる問題意識です。現状の問題点は、患者の医療に対する期待が過大であることです。医療にはすべてのことが可能であり、どのような生命も救えると思うようになっています。ですから、患者が死亡すると、それはおかしいと考え、医療過誤を疑い、医師を犯罪者扱いするのです。

 医療を受けた結果が期待通りでない場合、患者や遺族は悲しみを医療に対する恨みへと転換させます。とくに小児科や産科では患者からの攻撃が激しくなります。裏返せば、こうした医療分野では医師が逃げ出してしまい、必要な医療を確保できなくなる事態になっています。これが副題にある「立ち去り型サボタージュ」という状態です。

 患者と医師との関係が崩壊する背景には、無責任に患者を煽動するマスコミの姿があるのですが、その一方で、医療コストの問題があります。日本では医療に投入されるお金が少なすぎるのです。2003年のOECD報告書によれば、日本の医療費はGDPの7.6%です。先進7カ国の中ではイギリスに次いで低い水準です。

 イギリスでは80年代以降、医療費を抑制してきました。そのおかげで、医療費は国際的に低くなっていますが、医療の質も劇的に低下しました。十分なお金がないので、医療機関が立ち行かなくなっています。その結果、医療を受けられる機会が減少し、重篤な病気であっても手術には半年くらいの待機期間が必要です。そのイギリスと日本は程度なのです。

 医療費の少なさは医療の質に反映されます。どのようなサービスであれ、少ない費用に見合うサービスしか受けられないのが通常です。医療サービスも同様です。気合いや根性で何とかなるわけではありません。質の高い医療を希望するのであれば、もっと多くの医療費負担を覚悟しなければなりません。

 少ない医療費の配分にも問題があります。2001年や2002年のOECD調査によれば、日本では入院診療に費用がかけられていません。医療費に占める外来診療費の割合は世界でも上位に位置しますが、入院診療費は最下位です。全体として少ないなかで、さらに少ないお金しか入院診療には投入されていません。

 入院診療の費用が少ないために、入院施設には少ない医療従事者しか配置できません。1人の看護師が何十人もの入院患者を同時にケアしなければなりません。こうした状況で、たとえ患者の容態の変化に気付かず、その患者が死亡してしまったとしても、看護師ばかりを責められません。個人の資質の問題ではないからです。無理なものは無理です。

 入院患者に24時間張り付いてケアする体制を組むことはできます。が、相応の医療費負担の増額が必要となります。それを受け入れなければなりません。負担の追加が嫌であれば、現時点での医療体制を容認しなければなりません。もし医療過誤が起きたとしても、現体制の受忍範囲と見なすべきです。

 病院は診療報酬を受け取っていますが、その対価で完璧なサービスを提供できるわけではありません。病院が関わったからと言って、あらゆることの責任を病院に負わせることはできません。サービスには費用がかかるのです。日本は医療費低負担の国であるのですから、医療も低サービスで甘んじるべきではないでしょうか。

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benyamin ♂

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