『ロビンソン漂流記』

 今日はダニエル・デフォー(吉田健一訳)『ロビンソン漂流記』(1951年、新潮社)を読みました。

 いわゆるロビンソン・クルーソーです。航海中に遭難して孤島に漂着するお話です。物語の骨子は知っている人も多いでしょうが、実際の内容もおおむねその通りです。

 本書は自給自足の世界を描いていた作品としてしばしば取り上げられます。ロビンソンは孤島で自活しており、外界と接触することなく生活を確立しています。これが原始的な人間の生産活動だとされます。

 ただ、これでは生産物の品目が孤島の自然環境やロビンソンの能力に限定されてしまいます。その限界を超えた生産物を手に入れるために他の生産者や共同体との間で交換が発展してきたのだ、との説明に本書が用いられるのです。

 交換の発展が実際にこのような過程を経たのかについては別に検討するとして、本書を読んでみると、自給自足だとされるロビンソンの生活は実のところ純粋な自給自足ではないのではということに気付きました。

 例えば、孤島での生活に欠かせない道具類である猟銃やラム酒、衣類、ナイフなどは漂着した時から持っていたものです。他にも、孤独感を癒した聖書や、日記を書くための紙やペンなども彼が作った生産物ではありません。

 ロビンソンの生活は一定の道具が揃った上での自給自足です。すでに交換活動があったことが前提となっています。したがって、正確に言えば、サバイバル生活といった感じになります。いや、実際のところ無人島でのサバイバル生活なのですが。

 ロビンソンの孤島での生活を交換活動がない自給自足だとする通説には違和感を覚えました。むしろ、なぜ自給自足の典型例とされているのか不思議に思いました。

 よく知っているつもりでも、一度は自分で確認してみる必要を改めて痛感しました。とくに古典や原典は他の本を通じて間接的に内容を知ることが多いですが、それだけでは自分の認識に責任を持つことができないのです。

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benyamin ♂

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