『職業としての政治』

 今日はマックス・ウェーバー著(脇圭平訳)『職業としての政治』(1980年、岩波文庫)を読みました。

 有名な著者による、有名な古典です。やや難解な文献ということになるでしょう。とはいえ、内容は講演会を文章化したものであり、見た目も薄っぺらい本ですから、ざっと軽く読むことができます。

 本書の主張は単純です。それは、政治に倫理を期待するな、という主張です。政治とは権力を追求し、その配分を変更しようとすることである以上、そこに善意や良心があるべきだとする立場を批判しています。これは国内政治にも国際政治にも言えることです。

 この主張は単純ですが、注目すべきだと思います。政治は基本的には利害対立の激しい調整過程でしかありません。言うなれば、生死を賭けた戦争の世界です。そこに倫理を求めて、例えば、善良で道徳的な戦争を期待することは愚かでしょう。

 仲良くしようと言うことは簡単です。が、こちらの譲歩は相手の権力が増大することを意味します。その結果、こちらの権力は削られ、それを行使する程度や範囲は小さくなります。時には協力者や仲間からも裏切られることもあります。彼らも権力を追求しているからです。

 政治とはこうした悪に満ちた世界であると認識する必要があると、ウェーバーは主張しているのです。権力闘争を繰り広げる政治家は醜いですが、彼らが本性として醜い人間であるのではなく、政治の世界が彼らを醜くしていると把握するべきでしょう。

 表題の解題をすれば、職業としての政治とは悪に満ちた世界で働くことであると解釈できるでしょう。この悪は、本来の人間性がどうあれ、政治に関わる者の内面部分にも影響を及ぼすことになります。これを覚悟せよ、とウェーバーは言いたいのだと思います。

 しかし、その一方で、本書はやはり政治には倫理が必要だと言います。政治の世界とは悪を手を結ぶことですが、そうした悪に満ちた環境にあっても、それを受け入れた上で、「それにもかかわらず!」と言い切る自信が必要だと主張しています。

 政治の世界は倫理がありません。こうした酷い現実のなかでは、政治的な行為の結果は権力闘争の過程で攻撃されることになり、正当に評価されません。それを過剰に恐れてしまうと、最初から妥協的になってしまいます。

 本書の言う「それにもかかわらず!」とは、そうした政治による内面部分への影響に打ち勝つための倫理を指しています。政治的行為の責任を政治の世界が悪であることに転嫁するのではなく、それに耐えて、祖国が成さなければならない行為を判断できる能力が必要だと位置づけています。

 政治とは倫理が通用しない世界だとしながらも、その政治に携わる者には政治の悪に負けない倫理を求める。これが本書の肝要です。政治と倫理の関係について、政治の世界とそこで活動する者の問題とに区別して、前者には倫理がなく、後者にこそ倫理が必要だとしています。

 政治に倫理を期待しては駄目だという視点は非常に現実的だと思いました。政治に関する議論、とくに権力を追求する政治家の行為に対する議論では、ややもすると政治家への個人的な性格や欲望への批判が中心になります。

 本書の観点から言えば、こうした議論は政治的に未熟です。人が悪いから権力を求めるのではなく、権力を求めることが政治であることを理解していないからです。たとえ人間的に善良な政治家であっても、政治に携わる以上、権力を追求する悪にならなければなりません。

 本書は現代にも応用可能な枠組みを提示していると言えるでしょう。政治過程を分析する視角として、まずは念頭に置くべきだと思いました。有名な古典には有名になるそれなりの根拠があるのだと実感しました。

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benyamin ♂

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