『戦後史のなかの日本社会党』

 今日は原彬久『戦後史のなかの日本社会党 その理想主義とは何であったのか』(2000年、中公新書)を読みました。

 日本社会党はいわゆる55年体制の一翼を担う政党でしたが、一度も単独政権に就くことなく、半世紀後の現在では事実上消滅している政党です。本書の課題は、日本社会党の誕生から崩壊までを一気に俯瞰することにあります。

 日本社会党の直接的な起源は戦前の無産政党です。1925年に日本初の近代的社会主義政党を目指してつくられた農民労働党の後身として、労働農民党が1926年に創設されます。これらが分裂した3つの無産政党、日本無産党系、日本労働党系、社会民衆党系が日本社会党の源流です。

 これら3つの勢力が結集して日本社会党は1945年の11月に結党されます。が、3つの勢力は戦前からの対立を解消できていませんでした。それは、日本無産党系は左派的な思想、つまり、階級闘争の政党であった一方で、日本労働党系や社会民衆党系は国民政党であった、という対立です。

 1947年の総選挙で日本社会党は第1党となり、片山連立政権が成立しますが、左派は事実上入閣を許されず、党内で野党となっていました。続く芦田連立政権でも左派の軽視は続きました。両派の対立はサンフランシスコ講和条約への賛否をめぐって激化し、ついに1951年、日本社会党は左派と右派に分裂します。

 分裂後、左派は国内での再軍備論争において非武装中立論を唱えることで勢力を伸ばしました。他方で、右派は再軍備に対して統一的な立場を示すことができず、支持を拡大することができませんでした。こうした左派が優位である状況のなかで、1955年に両派は再び日本社会党として統一を果たしました。同年には保守合同で自由民主党が結成され、55年体制が成立します。

 55年体制の下、日本社会党には2大政党制の一端としての期待が集まりました。しかしながら、勢力が伸び悩んでおり、1958年の総選挙で自民党287議席に対して日本社会党166議席に迫ったのを最高到達点として、野党第1党の地位に甘んじることになりました。日米安全保障条約改定に臨み、日本社会党は条約破棄を掲げて勢力拡大を目指しますが、1960年に同条約は自然成立してしまいます。

 1960年代以降、日本社会党は停滞の時代を迎え、やがて低落していきます。安保闘争敗北以降は、非武装中立が日本社会党の基本路線となりました。しかし、対外行動としては、ソ連や中国、北朝鮮などの共産諸国との関係を重視する一方で、アメリカとの関係は一貫して敵対的です。基本路線である非武装中立のうち、中立は自らの行動によって空洞化していきました。

 日本社会党の凋落を決定的にした契機は、皮肉にも政権に就いたことでした。1993年総選挙では自民党勢力が分裂し、新生党が60議席、新党さきがけが13議席、日本新党が35議席を獲得する一方で、自民党は228議席と定数511議席の過半数には届きませんでした。日本社会党も77議席と数を大きく減らしますが、非自民・非共産の8党派で組織された細川連立内閣に与党第1党として参加することになります。

 政権に参加することで、日本社会党は自らの基本路線が貫徹できない事態に直面します。1993年11月に自衛隊法改定が閣議決定されます。これは在外邦人救出のために自衛隊の海外派遣を認める改正でした。これに対して日本社会党は政権維持を理由に容認しました。非武装中立のうち、ついに非武装の部分も空洞化してしまったのです。

 細川連立政権崩壊後、羽田連立政権を経て、1994年に成立した村山連立政権では、日本社会党党首であった村山首相が、日本社会党の党是を否定します。つまり、日米安保と自衛隊の是認、国旗国歌の尊重、非武装中立の破棄、を首相就任直後の国会演説で宣言したのです。後にこれは日本社会党の党大会でも追認されました。

 1995年の参院選で日本社会党は改選議席数41のうち獲得議席数16と惨敗します。これを受けて村山連立政権は1996年頭に総辞職し、その直後に開催された党大会で日本社会党は名称を社会民主党に変更しました。この際、旧来の右派や中間派を中心に政党を飛び出して、同年に民主党を結成します。社民党は旧来の左派が支配する政党となりました。

 1996年総選挙に社民党は35議席の勢力で臨むことになりました。しかし、その勢力の衰えは止まらず、総選挙の獲得議席数15となりました。55年体制の下で野党第1党として活躍してきた日本社会党は、ここにその名前とともに終焉を告げたのです。

 本書では日本社会党の凋落要因について、同党が掲げる非武装中立が理想主義に過ぎており、それが現実離れしていたことを指摘しています。非武装中立の非現実さは日本社会党が政権参加した際に、これを破棄した事実に端的に現れています。つまり、政権党として直面する現実にその理想主義が通用しなかったのです。

 55年体制の下では、日本社会党は政権党ではなく野党でした。この図式のおかげで、日本社会党の理想主義は現実に遭遇することなく、維持されることになりました。理想主義の限界は1960年安保闘争の敗北によって早くも示されていましたが、その後も55年体制は継続され、1990年代前半の連立政権参加まで温存されました。

 本書では明示されていませんが、日本社会党の限界は結成当初にあったと私は思いました。つまり、左派を抱え込んだことです。非武装中立という理想論に固執する左派を切り捨て、右派や中間派を中心とした政党を結成することができれば、日本の社民主義政党として成長できたのではないかと思います。

 なお、本書では日本の福祉国家成立に関して日本社会党の果たしが役割が大きく捨象されています。こうした側面を重視すれば、本書は結論ありきの一方的な叙述であると評価することもできます。しかしながら、日本社会党の挫折、つまり、非武装中立という理想主義が現実に突き当たって消えていく過程を鮮明に描いたという到達点の魅力は否定できません。今後の日本政治を展望していく上で、本書は参考にすべき必須の業績であると思います。

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benyamin ♂

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