『変わる家族 変わる食卓』

 今日は岩村暢子『変わる家族 変わる食卓 真実に破壊されるマーケティング常識』(2003年、勁草書房)を読みました。

 本書は衝撃的な内容を提示しています。家庭の食卓風景を調査している本書は、そこで普通の家庭における食事が劇的に変化している様子を描いています。調査対象は1960年代生まれ以降の主婦です。彼女らから聞き出した赤裸な告白により、現代食卓の姿が明示されます。

 現代食卓における決定的な傾向は費用削減の対象であることです。経済的に苦しいので食費を削るのではなく、家計における食費の優先順位が娯楽や旅行、衣類、住居などよりも低くなっています。なかには携帯電話の費用を捻出するために食費を削る家庭もあります。

 予算が回っていないため、食事の内容も貧弱です。夕食が冷凍食品であったり、インスタント食品が食卓に並ぶことは当たり前で、それ以外にもコンビニエンスストアで買ってきたおにぎりや菓子パン、サンドイッチを家族全員が食事として食べています。

 もちろん、子供もです。むしろ、子供のほうが冷凍食品やインスタント食品を食事としています。これらは口当たりが良く、子供が好んで食べることは普通のことです。ただ、従来であれば、食事の準備ができない場合などに、やむなく子供に食べさせていた食材です。

 ところが、現代では食事を用意しているにも関わらず、子供にだけインスタント食品を与えています。子供は魚や野菜が嫌いだから、その食事のときは子供が勝手にメニューの変更を訴え、代わりのインスタント食品を要求するのです。

 好き嫌いの多い子供を躾けようとする姿勢は見られません。躾は強要することであり、それは現代では過度に忌避されています。子供の要求通りにインスタント食品を与えたり、夕食の時間にコンビニエンスストアに行って好きな弁当を選ばせることが日常となっています。

 かといって、親たちは子供を放置しているわけではありません。公園に連れて行ったり、習い事をさせたり、家族で遊園地やキャンプに行ったりします。子供にいろいろな経験を積ませることが大切だと考え、実際に実践しています。

 その一方で、食事や料理という経験は子供には与えられていません。一緒に料理をすることや、いろいろな食材や味付けを食べてみることを子供は経験できていないのです。食事内容よりも公園や習い事に通うことのほうが重要視されています。

 コンビニエンスストアでテキトーに買ってきたもので食事をする理由は、食費削減だけではなく、忙しくて時間がないことも理由なのです。食べることに手間と時間をかけるよりも、子供の送迎をしてあげることが良い親だと考えられています。

 本書では現代家庭におけるこうした食卓の変化をアンケート調査に基づいてまとめています。家庭での生の声をで構成される叙述は相当の迫力があるとともに、現代の食卓が大きな変化を迎えていることを鮮明に示しています。

 食育が叫ばれる昨今ですが、私はそれが提唱される理由がよくわかりませんでした。朝食の欠食が増えているため、朝ご飯を食べるようにしようといった程度の中身かと思っていました。が、食卓の実情はそんな程度ではなかったことを本書は明らかにしました。

 本書にはもう1つ重要な貢献があります。それは副題が示唆するように、アンケート調査の限界です。本書での調査方法はアンケート調査が主軸ですが、その上で面談をするという二重の調査手法を採っています。これで暴露された真実がありました。

 アンケートに本当のことを書いていないのです。世間で一般的に正しいと考えられていると回答者が推測したことを書いています。つまり、正解に近い回答をするだけで、それと自分の考えや気持ちはまったくの別だということです。

 ある回答者は、家族の健康のことを考えて必ず野菜を料理に使う、と書いていました。しかし、面談で確かめてみると、生の野菜は高いから買わない、と言います。詳しく聞いてみると、レトルトカレーに入っている野菜で必要な野菜は足りていると考えていました。

 安全のことを考えて牛乳は生協でしか買わない、とアンケートで回答した人が、面談では、スーパーで売られている牛乳ばかりを飲んでいると言いました。アンケートと面談との間は1週間です。この間に大きな思想上の変革があったのでしょうか。

 とどのつまり、アンケート調査で回答していることと、実際に思っていることや行なっていることとの間には無限の距離があるのです。アンケート調査では、ある設問に対して、これが妥当な回答だと考える人が何人いるか、といった結果しか得られていません。

 したがって、マーケティングリサーチでこうしたアンケート調査を土台とすることは危険であると本書は警鐘を鳴らします。マーケティングでは顧客の声をアンケートで調べることが主ですが、そこには顧客の声が反映されていない可能性のほうが高くなっているのです。

 加えて、本書は他の分野でも各種調査が同じような限界を抱えているのではないかと危惧しています。本書が投げかけるこちらの論点は、非常に普遍的な問題を含んでいると思いました。方法論上の問題であるからです。

 私は普段から社会学の実態調査やマスコミが行なう世論調査に対して疑問を投げかけてきました。それは本書が言うところの、調査への回答と実際の言動とが大きく乖離していることが容易に推測できるからです。

 社会学調査もそうですが、世論調査は実際の政治を左右する動力になっています。世論調査が国民の声であると考えられ、政治は国民の声を踏まえて行なうべきですから、世論調査が政治を左右することは理論上当然です。

 ですが、世論調査が国民の声であることが検証されることはありません。実のところ、世論調査が国民の声を正確に反映していないとすれば、政治がそれに基づかなければならない根拠はありません。あやふやな世論調査に政治が左右されるべきではないと思います。

 閑話休題。そんだこんだで、本書は非常に意義深い内容が書かれている本でした。現代における家庭の実情を知るためにも、また、その知る方法についての限界を把握するためにも、本書は広く一般的に読まれるべきだと思います。

 なお、本書では調査対象となった主婦たちが駄目主婦だと言いたいわけではありません。本書にも冒頭で書かれていますが、ここでも明記しておきます。現象としては主婦たちの食卓への姿勢は駄目ですが、それが彼女たちが駄目であることを意味しません。

 個人的な性質の問題ではなく、もっと社会的な構造の問題である点を本書は強調しています。例えば、中学校における家庭科の教科書では、1970年代前後に調理から食物へと重点が映されます。工夫して料理することよりも、栄養学の側面が強くなるのです。

 学校で教えられる内容が、食事を作って食べることよりも、適当な栄養素を摂取することになっています。そうした教育を受けた主婦が本書での調査対象となっています。彼女らがとにかく何かを食べておけば良いと考えることは自然な成り行きです。

 本書の狙いは主婦を攻撃することではありません。本書で登場する主婦たちを見て駄目だと言うことは簡単ですが、彼女たち個人を槍玉に挙げて論難しても生産的ではありません。もちろん、単に怠惰で無能な駄目主婦も実在するでしょうが、それは時代普遍的な問題です。

 現代の食卓は大きく変わっています。その変化について実情を本書は丁寧にまとめています。本書からはその実情を素直に学ぶべきでしょう。この業績を踏まえて、その背景や原因を探っていく作業が次に来るべきです。批判や論難は出番があったとしても、せいぜいその次くらいの段階だと思います。

自己紹介

benyamin ♂

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