吉岡治の死去

 今日は吉岡治の死去です。

 吉岡治といえば、私にとっては石川さゆりの「天城越え」の作詞者です。冒頭から「自分のものにならないなら、あなたを殺していいですか?」と訴えるファンキーな歌詞は、普段は演歌を聞かない私でも好きになるくらい、魅力と迫力があります。

 歌詞全体は、何というか、救いがないどろどろの男女関係なのですが、独特の非日常性が描かれており、妙に心惹かれる情景になっています。人生に一度くらいは、かような怠惰に身を任せてみたいと、誰でも思うのではないでしょうか。

 そうした歌詞を、妖艶な石川さゆりが歌唱力たっぷりに歌い上げるのが「天城越え」です。楽曲との相性も良く、聞いても歌ってもメリハリが感じられて、心に残る名曲であると私は思います。

 ご冥福をお祈りします。

追記:
 改めて歌詞を見直してみると、どろどろの男女関係どころではないような気がしてきました。

 要点は「刺さったまんまの割れガラス」です。これは比喩的表現で、かつての愛の言葉は壊れてしまったけど、今でも私の心に刺さっている、といった意味だと、私は解釈していましたが、実はもっと直接的な表現かもしれないと思いました。

 つまり、冒頭の「殺していいですか」を実行した後の情景を描いているのではないか、ということです。割ったガラスでぐっさりと殺ってしまい、その死体に刺さった割れガラスをぼんやりと見つめている様子です。火曜サスペンス劇場です。

 その文脈で考えれば、歌詞の前半で「何があってももういいの」が、後半では「戻れなくてももういいの」と変わっている点も、後戻りができない行為をしてしまったことを言っている、と読み取れます。確かに死人は生き返りません。

 さらに、「ふたりでいたって寒いけど」「嘘でも抱かれりゃあたたかい」の部分は、事後、すでに冷たくなった身体に抱きつく姿を描いているようにも見えます。冒頭の宣言通り、殺して自分のものにできた喜びを表現しているのでしょう。

 天城越えの「越え」は、いろいろと越えてはいけない線を越えてしまった、ということなのかと思ってしまいました。男と女の線のみならず、人を殺す線、死人と戯れる線、さらには、自分も死を選ぶ線も含まれているかもしれません。

 以上は1つの解釈に過ぎませんが、こうした素っ頓狂な読み方もできるところが、天城越えの歌詞がもつ魅力と迫力の源泉ではないかと思いました。その一方で、「天城越えって良くね?」と言っていた私は、実は、火サスの情景に魅せられていた可能性もあるということであり、新たな自分を発見したような気分です。

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benyamin ♂

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