別子銅山

 今日は別子銅山に行きました。

・朝7時半集合である。眠い。
・別子銅山を観光資源としているマイントピア別子へ行く。端出場(はでば)に着いた後、マイクロバスで東平(とうなる)へと向かう。
・東平まで車で30分ほどかかるが、自動車が通れる道路ができる前は、観光客は東平まで2時間以上も歩いたそうだ。私は無理である。公共事業の大切さを実感した。
・その道路も離合ができないような狭さである。対向車が来たら立ち往生するため、乗り入れる車を制限して調整しているとのことである。
・東平までの道中は何もない森のなかを行くことになる。至極退屈だが、かつては従業員たちの住居などがあり、1970年代に銅山としては捨てた後、建物などは破壊して山に戻す取り組みをした結果だと聞かされた。素晴らしい。住友を少しだけ見直した。
・途中で水力発電所の横を通った。基本的な電力は水力でまかなっていたようだ。山であることを利用して、高いところから水を落として発電していたとのことである。当時は、高低差が世界一だったとか。
・東平は高台にあり、そこに作業所の遺跡がある。以前は日本のインカ帝国として売り出していたそうだが、あまり効果は芳しくなかったため、現在は東洋のマチュピチュと言っている。インカ帝国からは離れないようだ。だが、名称変更のおかげか、観光客の数もそこそこ増えているようだ。
・その東洋のマチュピチュであるが、確かにそう言っても良いようなところであった。天候は雨だったが、その分、霧がかかっており、そのなかに煉瓦造りの旧作業所が浮かび上がっている。これはこれで見応えがあった。
・端出場に戻り、鉱山鉄道に乗って観光坑道を見学した。鉱山鉄道は当時の蒸気機関車を再現したものである。観光坑道では坑道を再現してあり、精巧な人形によって当時の作業風景が紹介されていた。
・採鉱は男、運搬は女との役割分担だったようだ。似非ジェンダー論者はこの性的分業にもかみつくだろうか。女が背負って運んでいた鉱物を再現して、実際に背負えるようになっていが、20kgもあり、とても背負えなかった。採鉱はこれよりも重労働だったことが示唆される。
・鉱山鉄道の駅に、なんと水樹奈々のサインと紹介記事が掲示してあった。なぜここで奈々ちゃんが、と疑問に思ったが、彼女はマイントピア別子がある愛媛県新居浜の出身で、この地域の観光大使を務めているようだ。アニオタの血が騒いだ。
・再び鉱山鉄道に乗り、バーベキュー場でバーベキューを食べた。雨だったので屋根付きのところであったが、美味くいただいた。地元の食材は何もなかったが、ビールをごぶごぶと飲んだ。デザートにいよかんソフトクリームを食べる。
・マイントピア別子を出発して、今治のタオル美術館に向かう。普通のタオルは売れなくなったため、こうして美術品として売り出そうとしているようだ。
・とはいえ、タオルを美術品にすることは難しいと感じた。美術館ではタオル生地を使った絵や人形などが展示されているが、感動は少ない。なぜタオルで?との疑問が先に来てしまう。
・それよりも、いろいろなタオルを紹介したほうが良いのではないだろうか。素材や織り方による手触りや機能の違いを細かく解説するなどした上で、販売するような取り組みが必要ではないだろうか。
・お土産にタオルを買い求めたが、値段は高いものの、肌触りや使い心地は良い。無理に美術品としなくても、高級なタオルとして売り出すことは可能ではなかろうか。
・値段が安い普通のタオル生産は、もうアジアに勝てない。かつての日本がアメリカのタオル産業を駆逐したことと同じである。こうした現実を受け入れる必要があるだろう。

 銅山としては捨てた後、山として再生し、観光資源として活用している別子銅山に、産業転換を進める上での、1つの型を見たような気がしました。産業の跡地も遺産として利用できる可能性があることは、地域にとっても一定の展望になると思います。

自己紹介

benyamin ♂

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