オフレコ発言の報道

 今日はオフレコ発言の報道です。

 先月11月末に、沖縄防衛局の局長が「犯す」発言をしたことで更迭されました。この発言に対しては鬼畜三昧の私もさすがに擁護できませんが、その一方で、いささか違和感を覚えました。というのは、オフレコの意見交換における発言が報道されたからです。

 オフレコの発言は報道してはいけない、というのは、取材現場を住処としない門外漢の私でも理解しています。それを報道してしまったことに、最近の新聞は質が落ちたな、いや、日本の新聞は死んだ、というか、早く死ね、と思っていました。

 そうは言うものの、マスコミの取材におけるオフレコの位置づけがよくわからずに、オフレコとはそもそもその程度のものなのかもしれぬ、と悶々としていました。そのような折、産経新聞のiZaが非常に興味深い記事を提示しました。

「犯す前に…」発言 琉球新報のオフレコ破りを考える
12/04 12:20

【高橋昌之のとっておき】

 沖縄防衛局の田中聡前局長が11月28日夜の記者団とのオフレコ懇談会で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設に関する環境影響評価書の提出時期をめぐり、「(女性を)犯す前にこれから犯しますよと言うか」と発言した問題は、琉球新報が29日付朝刊でオフレコを破って報道、各社も30日夕刊で追随して報道したことから問題化し、田中前局長が更迭される事態に発展しました。さらには野党が一川保夫防衛相の問責決議案提出を決めるきっかけにもなりました。

 確かに田中前局長の発言は、報道されれば沖縄県民をはじめ国民が怒るのは当然の内容です。ただ、私は田中氏の懇談会が「オフレコ」という約束で行われたにもかかわらず、琉球新報が報道に踏み切ったことは、今後の取材活動、ひいては取材、報道の自由、国民の知る権利にも多大な影響を与える可能性があると懸念しますので、今回はこの問題を考えたいと思います。

 取材には「オンレコ」、「オフレコ」という手法があって、オンレコは記者会見などのように実名で発言内容もすべて報道されますが、オフレコは発言を直接報道しないことを前提とした取材をいいます。さらにオフレコには発言者を「政府高官」や「政府筋」、「与党幹部」といった表現にとどめて発言内容は報道するものと、発言者も発言内容も一切報道しない「完全オフレコ(完オフ)」があります。

 田中前局長の懇談会に産経新聞の記者は出席していませんが、朝日新聞の報道によると、懇談会は田中氏が「記者会見以外に率直な意見交換会ができれば」と設定し、約10社の記者が出席、田中氏は会の冒頭、「これは完オフですから」と述べたそうです。

 オフレコは取材する側と取材される側とが約束して成立するもので、田中氏が「完オフ」とすることを要請し、それに出席した記者が反対しなかったわけですから、「完オフ」は成立したことになります。

 田中前局長の発言は「完オフ」という安心感から本音が出たといえばそうかもしれませんが、発言内容が報道されるという前提での懇談会なら、田中前局長はおそらく「犯す前に…」という発言はしなかったでしょう。それにもかかわらず、「完オフ」との約束に応じておいて、発言を聞いた後で「けしからん内容だから、約束を破って報道する」というのは「だまし討ち」です。

 では、出席した記者たちは本来、どうすべきだったのでしょうか。私はまず、懇談会に出席した記者側が田中前局長の発言内容次第では報道するという意思があったのなら、田中前局長が「完オフで…」と言った時点で、「了解できない」と反対して「オンレコ」にすべきだったと思います。

 そうせずに「完オフ」を受け入れて懇談会に臨んだ以上、記者側には約束を守る道義的責任があります。それでも、発言内容は「どうしても報道する必要がある」と判断したのなら、その場で田中前局長に対して「発言内容を報道したい」と提起して、同席した記者とともに対応を協議すべきでした。

 現場にいた記者はなぜそうしなかったのでしょうか。おそらく「報道しなければならない」との感覚がなかったからでしょう。それにもかかわらず、琉球新報が報道したのは、「田中前局長の発言内容について社内で議論し、人権感覚を疑う内容の上、重要な辺野古移設にかかわる発言で、県民に伝えるべきニュースだと判断した」からとのことです。

 また、琉球新報は掲載にあたってあらかじめ防衛局側に通告したそうですが、それで済む話ではありません。懇談会には約10社の記者が同席していたのですから、まずそれらの社と協議したうえで田中前局長に「完オフの解除」を求めて同意を得るべきでした。そこまできちんと手続きを踏まなければ、田中前局長だけでなく出席した他社との道義的責任も破ったことになります。

 取材で記者がオフレコに応じるというのは、それほど重い判断なのです。取材はあくまでオンレコが基本であって、記者側はオフレコにすることを安易に考えてはなりません。懇談会に出席した記者が「完オフ」に同意したことも、発言内容を受けて田中前局長とすぐに協議しなかったことも、琉球新報が一方的に約束を破って報道したことも、オフレコに対する認識の甘さが根底にあります。

 実は私も同様の問題を経験したことがあります。平成7年11月に当時の江藤隆美総務庁長官が記者会見後のオフレコ懇談で、日韓併合をめぐり、「日本は植民地時代にいいこともした」と発言したことが報じられ、辞任した問題です。

 私は当時、首相官邸クラブのキャップ代行で、産経新聞社は内閣記者会(首相官邸担当の記者クラブ)の幹事社でした。江藤氏の発言は、同氏が「ここからはオフレコだ」と宣言し、出席した記者も反対しなかったため、オフレコが成立したうえでの発言だったことから、発言直後は報道されませんでした。

 しかし、その後、韓国の東亜日報が江藤氏の発言を報道したことから、内閣記者会も追随して報道するかどうかの判断を求められました。このため、私は内閣記者会の幹事社の責任者として、各社キャップによる協議を行いました。

 各社からは「海外のプレスとはいえ報道された以上、オフレコは解除すべきだ」との意見も出ましたが、まずは江藤氏にオフレコの解除を求めることになりました。そこで、幹事社が代表して江藤氏に「オフレコ解除」への同意を要請しましたが、江藤氏は「自分はオフレコだから発言した。報道される前提ならそういう発言はしなかった」と同意しませんでした。

 その結果を各社の代表者に報告して再度、対応を協議した結果、意見は分かれましたが、多数決で「オフレコに同意した以上、報道はしない」との結論に至りました。しかし、毎日新聞と東京新聞は「内閣記者会からペナルティーを受けても報道する」として報道、内閣記者会は両社に対して「首相官邸出入り禁止1カ月間」というペナルティーを課しました。

 この問題を受けて、全国のほとんどの新聞社が加盟する日本新聞協会の編集委員会は、オフレコ問題について協議し、平成8年2月に見解をまとめて発表しました。

 見解は「オフレコはニュースソース(取材源)側と取材記者側が相互に確認し、納得したうえで、外部に漏らさないことなど、一定の条件のもとに情報の提供を受ける取材方法で、取材源を相手の承諾なしに明らかにしない『取材源の秘匿』、取材上知り得た秘密を保持する『記者の証言拒絶権』と同次元のものであり、その約束には破られてはならない道義的責任がある」と、オフレコ破りを禁じています。

 その理由として「新聞・報道機関の取材活動は、もとより国民・読者の知る権利にこたえることを使命としている。オフレコ取材は、真実や事実の深層、実態に迫り、その背景を正確に把握するための有効な手法で、結果として国民の知る権利にこたえうる重要な手段である」と、オフレコ取材の必要性を指摘しています。

 そのうえで、「ただし、これ(オフレコ取材)は乱用されてはならず、ニュースソース側に不当な選択権を与え、国民の知る権利を制約・制限する結果を招く安易なオフレコ取材は厳に慎むべきである」として、あくまでも取材はオンレコを基本とすべきで、オフレコを乱用しないよう警告しています。

 私はこの見解に全く同感ですし、加盟社はこの見解に従うべきです。私自身、約20年間の政治取材を通して、記者会見などのオンレコ取材だけでは、読者に対して真実や事実の深層や実態を伝えることはできないと実感しています。オフレコを条件に取材対象からオンレコでは聞けない本音や、深層などを聞き出すことは、読者に対して正確で充実した報道を行うには必要不可欠だからです。

 しかし、今回の田中前局長の発言が報道された経緯や、各紙の報道ぶりをみると、この日本新聞協会の見解を知らない社や記者がほとんどなのではないかと思ってしまいます。つまり、オンレコ、オフレコの意義も含めて取材、報道はどうあるべきかという基本姿勢が乱れているのではないでしょうか。

 田中前局長の発言を最初に報道した琉球新報も、もちろん日本新聞協会に加盟していますから、協会の見解に従った行動をとるべきです。30日付朝刊で田中前局長の発言を報道するにあたり、オフレコ発言による問題の経緯や日本新聞協会の見解を掲載し、琉球新報のオフレコ破りについて問題を提起したのは産経新聞と朝日新聞だけでした。毎日新聞はオフレコ問題には一切言及せず、田中前局長の発言を1面コラムの「余録」と社説で厳しく批判しました。

 一方、読売新聞は1面コラムの「編集手帳」で、「非公式の記者懇談にしても、今回はかばいようがない」として、オフレコ破りも仕方がないとの見方を示しました。

 さらに驚いたのは東京新聞の論評です。まず1面コラムの「筆洗」で「琉球新報が非公式発言を書いたことは言葉狩りとは思わない。オフレコが前提の懇談でも、人権感覚を著しく疑わせる防衛局長の発言への怒りが、記事化の根底にあったのだろう。その決断を支持したい」とオフレコ破りを支持し、社説でも「発言の重大性を鑑みれば報道するのは当然だろう。まずは琉球新報の報道姿勢を支持する」としました。

 読売新聞と東京新聞の論評は、オフレコでの発言であっても「記事にする必要がある」と判断したら、「オフレコを破りますよ」と宣言しているようなものです。これでは今後、オフレコの約束が守られない可能性があり、両社の記者を入れてオフレコの懇談会をやることはできなくなります。両社が今後はオフレコの懇談会には出席しなくてもいいというなら別ですが、そこまで考えてのことだとは思えません。

 一方、取材対象側からしてみれば「オフレコの約束をしても内容によっては後で破られる」ということになってしまうと、今後、オフレコ取材に応じない理由に正当性を与え、その動きが広がりかねません。オフレコは守るという日本新聞協会の見解に沿った報道姿勢の社にとっては、取材の機会が狭められてしまうことになります。

 非公式発言をめぐっては、今回の田中前局長の問題だけでなく、最近では鉢呂吉雄前経済産業相が「放射能をうつしてやる」との趣旨の発言をして更迭された問題がありました。あの発言は、国会議員宿舎の玄関前という周囲にいれば誰でも聞こえる状況での発言でしたから、私はオフレコは成立していないと思いますが、聞いていて報道しなかった記者にはオフレコという認識があったようです。

 数年前まで国会議員の夜回り取材の多くは、議員の宿舎の部屋や自宅で行われていましたから、オフレコが守られる状況でしたが、現在は宿舎前での立ち話ですから、オフレコが成立する状況にはありません。したがって、これについてはもはやオンレコ取材とすべきではないでしょうか。

 このように、現在の取材現場は、オンレコとオフレコの取り扱いが乱れてしまっています。日本新聞協会は今回の問題を契機として、改めてオフレコ問題について協議し、見解を確認すべきだと思います。そしてもちろん、現場の記者一人ひとりも、この問題を真剣に考えて取材に臨むべきです。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/diplomacy/537285/

 秀逸な記事です。今回の意見交換がオフレコのなかでも完全なオフレコ(完オフ)であったこと、オフレコに関しては平成7年11月の江藤大臣(当時)の事件を教訓に日本新聞協会が業界の決まりを作成したこと、その決まりを日本新聞協会に加盟している琉球新報が破ったこと、が明快に解説されています。

 とても勉強になりました。なお、こちらが日本新聞協会のオフレコ取材に関する見解です。こうした見解を踏みにじった琉球新報に対する静かな、しかし、強い憤りを、記事から感じました。貴重な情報源であるオフレコ取材を封じられる可能性があるから当然でしょう。

 震源地となった琉球新報は左翼の新聞です。琉球新報は、名前の通り、新聞というより左翼の機関誌です。消えつつある左翼勢力ですが、起死回生をはかって沖縄防衛局長を生け贄に捧げたのでしょう。えげつないやり方だと嫌悪する一方で、そうまでしなければ消滅してしまうとの必死さが感じられました。

 戦後はもうすぐ、本当の意味で、終わりそうになっているな、と改めて思いました。

 ちなみに、高知新聞は12月1日の社説でこの問題を取り上げています。

【沖縄局長暴言】「正心誠意」が問われる
2011年12月01日08時26分

 沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題をめぐり沖縄や女性を侮辱する発言をしたとして、田中聡沖縄防衛局長が更迭された。

 名護市辺野古への県内移設に向けた手順として、政府は同県に環境影響評価(アセスメント)の評価書を提出する。田中局長はその時期を問われ、「犯す前に、犯しますよと言いますか」と応じたとされる。

 米軍基地が集中する沖縄の忍苦に真面目に向き合い負担軽減を本気で考えている人の口からは、こうした言葉は決して出まい。更迭は当然だ。

 沖縄をめぐっては日米の政府高官らによって、不適切な発言が繰り返されている。県民はもとより国民一般にとっても聞くに堪えないことだ。

 田中氏は以前にも那覇防衛施設局に勤務し地元との調整に当たるなど、基地問題のエキスパートの一人だったという。沖縄への理解が深いと思われていただけに、「裏切られた」と感じる県民は多いはずだ。

 沖縄がどれだけ辺野古移設に反対しようとも、最後には同意なしでまた不合理な負担を押しつければよい―。田中氏の蔑視発言からはそんな意識さえ感じられる。

 米軍による事件事故の脅威におびえ、不平等な日米地位協定も一向に改定されない。そんな状況が放置されてきたことを、沖縄では国家による構造的差別ととらえてきた。田中発言はそうした思いを強めたに違いない。

 今回の問題は、田中氏の更迭だけで済まされない点も深刻だ。

 政府はアセスの年内提出方針を堅持している。野田首相がオバマ米大統領との会談で表明した「対米公約」でもあるからだろう。しかし、田中発言で沖縄の理解を得るハードルは格段に上がった。現状のまま強行すれば沖縄との溝は絶望的に深まる。

 普天間移設問題を進展させるには沖縄との信頼関係が不可欠だ。それを無にしてまで年内提出にこだわることが得策とは思えない。今は首相が沖縄に行くなどして信頼を少しでも取り戻すよう、努力するべき時ではないか。首相の「正心誠意」が問われる。

 辺野古移設の日米合意一点を追求することも疑問だ。米議会には辺野古以外の案を模索する動きもある。それを踏まえながら沖縄の民意を尊重した移設案を検討できないか。日本にはもっと主体的な外交が求められる。

http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=282711&nwIW=1&nwVt=knd

 オフレコ発言が報道されたことには一切触れていません。琉球新報の行為に賛同もしない代わりに批判もしていません。でも、報道内容を論拠に権力に対してはきっちり難癖をつけています。かつては時代を牽引した土佐のジャーナリズムも、今ではこの程度です。

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benyamin ♂

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