2012年11月アーカイブ

裏紅白歌合戦2012

 今日は裏紅白歌合戦2012です。

 NHK紅白歌合戦の出場者が発表されましたが、ここでは取り上げません。石川さゆり以外はどうでも良いです。今年も天城越えが楽しめれば、それで十分です。

 本物の紅白歌合戦よりも重要なイベントが裏紅白歌合戦です。今年も出場者が発表されました。話題の人でみっしりと埋まっています。

 これを見るたびに、今年もいろいろあったなぁ、としみじみします。

奈良公園

 今日は奈良公園です。

  • 朝早くに奈良公園に到着する。眠い。
  • 依頼してあったガイドさんに会う。とっつあん坊やみたいな男性のガイドさんだが、ガイドは上手い。30歳くらいか。しゃべり方も浪曲みたいで節があり、聞きやすい。奈良出身で奈良のことが大好きで、ガイドになったそうな。適職である。
  • まずは東大寺に向かう。途中、シカに捕まる。なでなでする。かわしい。デュフフ。
  • 東大寺の入り口、南大門に金剛力士像がある。運慶が造ったことで有名である。いずれも国宝である。
  • 南大門をくぐり、中門を抜けて金堂へと続く。金堂の前には古い燈籠があり、現在でも正月やお盆には行事で使われているそうだ。
  • 金堂(大仏殿)に入る。大仏様とご対面である。デカァァァァァいッ説明不要!! 横に四天王のうち、広目天と多聞天がある。江戸時代のものである。残りの持国天と増長天は予算不足で完成に至らず、首から上だけが展示されていた。何とかしてやれよ。何百年も首だけかよ。
  • なんとなく思い入れがあり、多聞天をしばし眺める。宝塔と三つ叉を持った姿に現れているように、財産の神でもあり戦闘の神でもある。別名は毘沙門天である。こちらの名前のほうが有名か。その代理が寅丸星、星に振り回されるのがナズーリン。いや、何でもないです。
  • 二月堂に行く。お水取りの儀式で有名である。現在では3月頃に行われるそうである。二月堂から奈良市内が一望できる。廃業した奈良ドリームランドが見える。まさに夢の跡である。
  • 三月堂(法華堂)と四月堂にも行くが、外から見るだけである。
  • 近くに校倉造りの建物がある。校倉造りは、雨が降ると木材が膨らんで隙間がなくなることで、室内に湿気が入らないようになり、晴れた後は木材が縮んで隙間が空き、室内の湿気を外に逃がす、優れた貯蔵施設とされる。が、ガイドさん曰く、それは間違いらしい。木材はそこまで短期的に収縮はしない。しかし校倉造りの倉庫は現に優れた機能を発揮している。これを説明できる説は現在では未確定のようだが、有力な説は、木材が湿気を吸収しているという説である。雨が降れば木材が湿気を吸収し、晴れになれば湿気を放出して、室内の湿度をある程度保っている、ということである。学校の教科書における説明が否定されている。
  • 校倉造りの横に見事な紅葉を見せる木があった。葉全体が赤くなるのではなく、その一部が赤くなり、他は黄色である。一本で何役もこなしている。芸達者だ。
  • 若草山に行く。シカがわんさといる。なでなでする。かわいい。デュフフ。
  • 春日大社に向かう。道中、木が生い茂った道となる。紅葉が綺麗である。ぜんざいを食わせる店があり、それが茅葺き屋根のような店構えであるため、紅葉と重なって趣を感じさせている。
  • このあたりには子供のシカがいる。思わずなでなでしそうになるが、人間のにおいがつくと母シカが育児放棄するそうだ。我慢する。
  • 春日大社を参拝する。境内には七五三のため、着飾った子供たちがいる。これも思わずなでなでしそうになるが、我慢する。母親が育児放棄してもいけないので。
  • 昼は若草山まで戻り、お土産屋さんで釜めしを食べる。奈良とは関係なさそうだが、薄味で美味しい。半日歩いた後でもあり、もりもり食べる。
  • 食後、若草山に登ろうかと思うが、時間がなくて断念する。
  • 法隆寺に向かう。ガイドさんとお別れする。先述した通り、見た目の容姿はアレだが、優秀なガイドである。
  • 奈良公園から法隆寺へはJR関西本線で3駅ほどだが、バスで移動したため、1時間ほどかかる。よくよく考えれば、連休の中日である。人も車も多い。
  • とはいえ、法隆寺に到着すると、さほど人はいない。のんびりと参拝する。
  • 西院伽藍のほうから参拝する。世界最古の木造五重塔がある。奈良のほうが古いものが残っている。災害が少ない地域だからか、都であった時期が短かったためか。
  • 五重塔の一階部分、四方には壁画が描かれている。何度か参拝に来ているが、今回初めて見たような気がする。涅槃の図など仏教の重要場面が描かれている。
  • 隣の金堂へと行く。法隆寺の本尊が安置されている。その周りには四天王像のほか、吉祥立像と毘沙門天立像がある。ここでは四天王と毘沙門天が別である。こっちの四天王が星くんか。
  • なお、金堂の内部に壁画として有名な仏教絵画が描かれていたが、戦後の補修作業中に火の不始末から生じた火災により焼損している。何というアホさか。
  • 五重塔と金堂の周り小囲む回廊も古い。その格子戸から外側の紅葉が見えて、とても趣がある。
  • 大宝蔵院の百済観音像を見に行く。なぜ法隆寺にあるのか、由来が不明な百済観音像であるが、見た目はシュッとしていて、珍しい観音像である。
  • 大宝蔵院には玉虫厨子がある。歴史の資料集とかでおなじみである。今は玉虫の色は褪せてしまっているが、当時はさぞかしきらびやかだっただろうと思う。虫が原料ということで、やや気持ち悪くもあるが。
  • 東院伽藍に行き、夢殿を見る。聖徳太子の等身大の像とされる救世観音像があるが、よく見えない。ずんぐりした像っぽい。昔の日本人はあのような体型だったのだろうか。
  • このあたりで良い時間になったので、少し境内を散策した後、帰途についた。

 奈良はそれほど行く機会はありませんが、それだけに時折訪れると面白いです。

道頓堀クルーズ

 今日は道頓堀クルーズです。

 正確に言えば、とんぼりリバークルーズです。道頓堀を船に乗って、20分程度周遊します。700円。

 言ってしまえば、川で船に乗るだけですが、川から道頓堀の町並みを眺めることを新鮮でした。そもそも、昔は道頓堀は汚くて臭い川で、近寄りたくもないところでした。それが今ではすっかり清掃と整備も完了しており、普通の川になっています。水は濁っているものの、船に乗っていても臭くはありません。あの汚川からは想像もできません。

 クルーズでは道頓堀にかかる橋を裏から見ることができます。特徴がある橋は戎橋です。戎橋の裏にはLEDのライトが装備されています。これはライトアップのためのものではなく、川に飛び込んだ人を探しやすくするためのものだそうです。そう、あの時のためのものです。もっとも、現状ではその機会は3年くらい来ないでしょうが。

 川のほうから町並みを見るため、あの有名な看板を間近で見ることができます。これもこのクルーズの魅力です。ただ、今はその看板の並びにパチンコ屋の看板があり、変なねーちゃんが踊っている映像が流れていますので、少し雰囲気が悪いです。道頓堀に品位を求めても仕方ないですが。

 行く場合は夜がおすすめです。21時くらいまで運行していますので、日が沈んでから行くと、ごちゃごちゃした町並みもライトアップされて綺麗に見えますよ。私も夜に行きました。なお、同じ頃、高校生がナイフで刺される事件が起きました。道頓堀では日常茶飯事です。そうした部分も含めて夜に行くことをおすすめします。楽しんでください。

『知の欺瞞』

 今日はアラン・ソーカル/ジャン・ブリクモン『知の欺瞞』(2012年、岩波現代文庫)を読みました。

 本書では、いわゆる現代思想の担い手たちが小難しい概念を知ったかぶりで振り回している姿が暴露されます。具体的には、数学者である著者の2人が、いろいろな現代思想家たちが論文で数学の概念を理解せずに用いていることが明らかにされています。

 たとえば、精神分析学者であるジャック・ラカンは精神分析に関する論文で以下のように書いています。

 この享楽の空間では、何らかの有界なもの、閉じたものを取り上げること、それは一つの場所=軌跡であり、その場所=軌跡について語ること、それは一つのトポロジーなのだ。

 うっかりすると、な、なるほど!と受け取ってしまいそうになります。しかし、トポロジー(位相幾何学)という数学の概念を用いていますが、それと精神分析との関係性は示されることなく論文は終わってしまいます。トポロジーという概念を論文に登場させただけです。おそらくは権威付けのためだけに。

 本書では、ラカン以外にも、記号学者のジュリア・クリステヴァ、精神分析家のリュス・イリガライ、社会学者のジャン・ボードリヤール、思想家のジル・ドゥルーズ、精神分析家のフェリックス・ガダリ、建築家のポール・ヴィリリオ、といった有名どころが取り上げられています。いずれも数学の概念を自らの論に持ち込みながら、何も説明していない、として一刀両断されています。

 それぞれ著名な論者たちであることもあり、彼らの支持者からは相当に反論されているようです。もっとも、そうした反論では、彼らが数学の概念を正確に理解していることが示されいるわけではないようです。数学の概念を理解していないこともあるかもしれないが、たとえそうだとしても主張の本質は間違っていない、という内容が基本のようです。

 私もそうした反論には賛成します。が、その一方で、やはり彼らが理解していない数学の概念を偉そうに論じていることは事実として受け止めるべきだと思います。彼らの著書を読んでもわからないことがありますが、それは私の理解力の問題だと感じていましたが、そうではなく彼ら自身もわかっていないことを書いているかもしれません。

 自分の主張が緻密な論理性を有していると見せるために、厳密な論理性を有する数学から概念を借用したのでしょう。しかし、それでも、論理性がない主張が論理的になるわけではありません。まずは自分の主張に論理性を持たせる作業が必要です。他山の石として私自身も気をつけたいと思います。

自己紹介

benyamin ♂

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